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堤防
開拓前後
工事の流れ
一回新田
新田名のその後
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一回が書かれた資料
地図
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田中芳男
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神野新田沿革史
沿革史は、初代金之助翁が明治37年に発行する神野新田紀事の草稿として、明治36年に金之助翁自身により書かれたものです。 沿革史から毛利新田工事で「一回新田」と「二回新田」の名前が出来たことが判明しました。 神野新田になって明治時代には「一回新田」の名が使われていたのが確認できています。 現在は「二回新田は」使われていますが、「一回新田」は使われていません。
上の画像は毛利新田ができる前を、豊橋駅辺りの上空から見た西側の鳥瞰図です。 手前の左が市場港で右が豊川、遠くの左が渥美半島で右が知多半島です。 中央の茶色部が富士見新田で左から後の西明治・東明治・冨久縞の各新田です。
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