発見と分析

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 新  発  見  内  容


4

 岩本賞壽が土木課長と役職(神野新田紀事には役職は書かれていない)が書かれている


7

 豊川の船頭と荷組合が工事差し止め訴訟の示談金が7千円とあり、若干と訂正されている


9

 毛利新田の最初の澪留が成功した時「役員は祝杯を挙げ」とあるのを削除している


12

 三郷・五郷がある方を「㐧一回新田」と書いてあったものが削除されている


13

 現在の二回新田を「㐧二回新田」と書いてあったものが削除されている


27

 壁長(服部長七の通称)と書いてあったものが削除されている


 「圓龍寺は神野富田両家の菩提寺として」とあり、本堂内の両家専用仏壇は当初から計画か?


 初代金之助・四代重助が「圓龍寺山号は神野富田から神富山となった」とある唯一のもの



▶ 新田名の分析へリンク


▶ 田中芳男の沿革史印刷へリンク

  ・明治36年に第五回内国勧業博覧会(田中は博覧会の役員)に神野新田開拓を出展しているが、出展に関係

   して沿革史(草案)が描かれたと思われる

  ・第五回内国勧業博覧会で神野新田開拓が名誉銀牌を賜り、記念して明治37年に「神野新田紀事」を発行

  ・田中が「神野新田紀事」の序文を書いている関係で、やり取りした資料と思われる