・明治23年に愛知県庁監督での工事が一段落したので、監督を毛利側に戻すのと、毛利新田の新田名と
その新田を締切る堤防の説明
・「第一回新田」は第一号~五号の5堤防で、「第二回新田」は大手堤防と柳生川堤防で閉め切られている
・「第一回新田」と「第二回新田」を併せて吉田新田と命名とある
・著作権切れの「神野新田紀事」に朱記で追記し、沿革史(草案)を再現
・沿革史には朱記の「第一回新田」と「第二回新田」が書かれているが、「神野新田紀事」では消されている
・沿革史には最後の行に「両新田を併せて吉田新田と命名」とあるが、「神野新田紀事」では消されている