・工事は第一回目工事と第二回目工事と大きく2回に分けて実施されたと考えられる
・第一回目工事で囲われた北側の干拓地(新田)が「第一回新田」/「一回新田」
・第二回目工事で囲われた南側の干拓地(新田)が「第二回新田」/「二回新田」
▶ 毛利新田の築堤の流れ
・明治22年の地形が描かれた明治23年の奇跡の地図から下記の推論が成り立つ
・毛利新田の第一回目工事は、➀堤防で新田を大きく囲う、②第一堤防を作った、ことにより北側は単独の
囲い地となり、南側は柳生川池?と二回新田予定地の囲い地となる
・北側も南側も排水により海底の干潟が露出し、北側は5つの堤防で囲われた独立する干拓地(新田)なる
(第一回新田が出来た)
・南側は広い柳生川池?と二回新田予定地の干拓地となる
・市場港から外海へ柳生川を延長する必要があるが、第一回工事から第二回工事の間は締切られていたので
市場港と大手堤防間は小舟でピストン輸送、大手堤防で乗り換えて田原等と行き来したと推測される
・第二回目工事は柳生川堤防(桝型含む)により、結果現在の二回新田が独立した干拓地(新田)となる
(第二回新田が出来た)
・立派な桝型は市場港の代わりとなる港にするべく神野新田の工事で改修した